エンケンの記憶

純音楽家、遠藤賢司が亡くなった。

 私が初めて彼を見たのは六年前。それまではというと、フォークの大御所、熱いギター、ちょい狂ったおじさんぐらいのイメージしかなかった。曲も有名どころをYouTubeなりで何かのついでに見た程度。

 

2011年8月。

震災から半年も経たないこの頃は、浜の方の大変な状況や放射能がなんちゃらとかで何かと大変な時期であった。夏のイベントは多くが自粛して、静かに、時間が流れていたと思う。

そんな落ち込んだ雰囲気の中、今必要なことは祭りだ!と福島市出身の音楽家、大友良英を中心にフェスが開催されることとなった。フェスティバルFUKUSHIMAだ。

原発が爆発し、ばらまかれた放射線が心配で、皆、あまり外に出たがらない頃。しかも開催される場所は芝生で、芝生は放射線がたまりやすいと敬遠されていた。そんなところでどうやってやるのかと思いきや、大風呂敷を作って芝生をみんなで覆ってしまおう!という。福島は大丈夫、こんな時こそ「大風呂敷」を広げて頑張ろうぜということだった。

病院勤務で忙しかった妻は行けず、娘二人と出かけた。

雨が降ったりやんだり、あいにくの天気だった。しかも雨が降ると放射能が、、、みたいなところもあって、子ども連れは少なかったように思う。

会場に着くと、ほどよい人の群れ。若い人が多かったが、みんな楽しそうな雰囲気。

娘たちもなかなか外で遊べなかったので、広い公園は気持ちが良さそうだった。

早速大風呂敷を敷き詰めるイベントが始まった。全国から送られてきた布を使って大きな風呂敷を作ったようだ。大きめの風呂敷が数か所で敷かれ始める。娘たちも大きな風呂敷の下にもぐったり、大きく掲げたりとても楽しそうだった。雨でぬれている芝生のおかげで二女は服がビショビショ。早くも着替え消費に父、意気消沈。風呂敷の上で遊んでいると、プロの写真家の方から声をかけられた。このフェスに参加している人々のポートレイト写真をとっているという。娘二人と風呂敷の上で肩を抱き寄せ写真をとってもらった。この時の写真がさすがプロ、とても良くて一番のお気に入り写真だ。

風呂敷が敷き詰められた会場のいたるところで、音楽やダンスなどパフォーマンスが行われている。とてもいい雰囲気。メインのステージでは詩人、和合亮一が力強い朗読を始める。うるっとする。娘たちは「あの人なんで怒ってるの」と不思議がっていた。夕方ごろから3つのステージでライブが始まった。チビ2人がいるのであまり移動できず、メインステージ周りで遊びながら。

 

そして、雨がしとしと降る中、雨宿りに園内のレストランの子供のあそび場で休んでいた時、エンケンのギターが鳴り響いた。

エンケンの叫び声。

なんかやばそうだ。

「なんかライブ始まったねえ~、なんか怖いんだけど、、、。」

二十歳そこそこのお姉ちゃんが隣で彼氏につぶやいたのをいまでも覚えている。

エンケンだ。

観に行かなくちゃ。

カッパを着て、一緒に遊んでいたそこで知り合ったお友達のお母さんにお願いして、ステージへ向かった。

 

エンケンが叫んでいた。

エンケンのギターも叫んでいた。

震えた。

雨で体が冷えたわけじゃない。

無心にギターをかき鳴らし、叫んでいる。

シブい、ステキ、いいメロディ、そんな次元じゃない。

人間の心の叫び、衝動をさらけ出している。

人間臭いというかなんというか。

しびれた。

これがしびれるということだ。


遠藤賢司 - 夢よ叫べ @ 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!

 

エンケン、ギター1本で仁王立ち。

歌。

演奏終わってからの歌舞伎の「大見得」のような動き(6’25ぐらいから)。

最後まで、袖にはけて見えなくなるまで、目が離せなかった。

すげえもん見たなと正直に思った。ここまで揺さぶられたライブは今までなかった。そして今現在もこれに勝る衝撃はないと思う。

そのあと、向井秀徳とか七尾旅人とか見たけど、やっぱりエンケンが一番記憶に残った。

これが私のエンケンの記憶。

 

残念だったので今日のお昼は、

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二郎、ニンニクなし、やさいマシ。

膝は小康状態。

ストレッチをしすぎておしりの筋肉が痛いフル10日前。