やった。
家庭内ジム交渉成功。早速明日からジム活導入!
ジムは以前にも行っていましたが、月会費が上がったり、仕事の都合上なかなか行けなかったりしてやめてしまった。しかし今度は更に家の近くに新しいジムができて、三女のスイミングスクールと合せて会員になるとめちゃくちゃ安い(近くのジム比)会費だったのでこれはチャンスということで動いたわけです。よっしゃー、これで雨の日も雪の日も、さらに鏑木トレミもできる!楽しみ。
ではレポ続けます。
3登目の始まりは温泉と川
第1関門を若干の余裕を持って到着できたのだけれども、足のほうはそんな余裕は全くなし。ぶん殴られた左太ももは相変わらずで、2登目の下りで着地筋の疲労もさらにアップし、踏ん張りが徐々に効かなくなってきているのを実感していた。しかもまだ半分以上残っているというのだから、、、。
第1関門を出発すると間もなく沼尻温泉元湯が見えてきた。
なかなかの景色なんですこれ。そして硫黄のにおいも漂ってくる。
もうちょっと降りると、青いスタッフの方がいるところから走行禁止。走行禁止の歩行区間は少しでも休憩できて嬉しい。
スタッフの近くに源泉!
ああ、お風呂に入りたい!!
この歩行区間では上流から川が流れてきていて、絶好の足洗い場となっていた。さらに川の水はひんやり気持ちいいもんだから、川が現れるたびにちょっと水浴びで最高に気持ちよかった。
思いっきり水びたしにはなるんだけど、今回導入したこいつが大正解。
DRYMAX(ドライマックス) Trail Running 1/4 Crew Turndown М Grey×Black
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これ、いいです。ほんとに。
序盤、多少水たまりに入ってシューズが濡れたところでほとんど嫌な濡れ感を感じなかった。思いっきり水に入ってしまったとしても、少しするとちょっとずつドライになってきているのが分かるような感じになる。今回はさすがに終盤、雨と更なる悪路、底なし泥に足を突っ込んでいたので、ものには限度ってものがありますな、最後はさすがに泥も水も排出しきれなくなって足もふやけましたが、多少の水なら最強だと思います。これ以外試したことないけど。ロードで雨なら迷わずdrymaxで行きます。ただ、こいつはトレイル用で丈夫になっている分だけ厚いので、ロードにはロード用のdrymaxを購入しても良いと思った。3、4000円するんで腰が引けますけど。
胎内岩から生まれた
さあ、沼尻温泉源泉を抜け、次に目指すは胎内岩からの鉄山非難小屋分岐。沼尻の景色で少し元気になったのだけれど、それが終るとまた始まる急な登り、、、。まあ、まだ登りは良い。着地衝撃がないので。それでもさすがに息も切れてきて、ゼーハーセーハーうるさいおっさんと化していた。
ゴツゴツとした岩が登場してくる。
段差が大きいと体を持ち上げるのに苦労する。体重は軽い方がいいな。
そして大きな岩がくるたびに胎内岩かと思わされながら違うというの数度繰り返した後に、やってきました胎内岩!
胎内岩に到着するとそばにいたボランティアスタッフの若いお兄ちゃんが、
「胎内岩でーす!狭いんで気をつけてください!元気に生まれちゃってください!」
ほーほー、「胎内」なだけに「生まれる」か。その台詞、準備しておったな。いいぞ、なんかほっこりする。せっかくなんで写真を一枚。
せまいー。大きい人はザック脱がないと通れませんよ。
「ありがとう、行ってきます。」
と言うと、
「さあ、元気に生まれちゃってください!」
きた、2回目の「生まれちゃって」。
「お、おう。」(心の中で)
抜け出たら「オギャー」とか言えば良かったんだろうけど、さすがに言えなかった。
遠い目。第2関門到着。
胎内岩を出ると間もなく鉄山非難小屋分岐に到着。ここから箕輪山方面へ行きながらの横向温泉登山口へ下ります。
ずーーーっと先が見通せるところでもれなく遠い目になるようになってきた。
折れるな、心よ。
箕輪山を横目に下る分岐でトップ選手とスライド。うわっここでスライドするってこの人たち(トップ選手たち)、どんなペースで走ってんのよ。ぐいぐい進んで行く様はまさしく「強い」と表現するべきだろう。ロードのマラソンのトップ選手のスライドだと「速えー」だが、トレイルでトップ選手とスライドすると「強えー」だ。この先、上位選手の下りをちらっと見たが次元が違った。
そして下り。
もうほんとに下りはやばくなってきた。気持ちのいい下りじゃないんだよね、傾斜のきつい下りは!しかもマッドと来てるんだから始末が悪い。段差の大きい下りなんか手前で止まって、
「せーの、、、」
意を決してピョン。
ドン!(ズキン)
「、、、。」(ほんのちょっと動けなくなる。)
みたいな。
もう足いかれてしまうよー。
我慢です。ここからはひたすら我慢です。この時点で100kmウルトラの辛さをゆうに越えていた。下って足が痛むたびに、最後まで行けるんだろうか、やめたい、そんな気分がガンガン襲ってくる。
我慢しながら第2関門到着!
制限時間9時間に対して8時間10分ちょっとで到着。だいぶ時間の余裕がなくなってきてしまった。ここでも長居はしないように、トイレに並びつつ補給とちょびさんへ状況連絡のLINEを打つ。
「やばいよ。」
「ギリギリだと思う。」
この時点で制限時間に対して50分しか余裕がなかったので、今の状態を考えるとギリギリと考えるのが妥当だった。ここからあと2回登るからね。しかも第2関門から第3関門は距離が長く一番きついだろうと言われていたし。
しかしここでひとつミス。
この時点で私の頭の中にあった第3関門制限時間は12時間。ここまで10kmぐらいで2時間50分ぐらいかかっているのだから、さらに距離の伸びるこの区間では本当にぎりぎりになるだろうと思っていたのだ。しかし実際は第3関門の制限時間が12時間30分だった。まだ少しだけ余裕があった。そしてちょびさんが第3関門に来てくれるとは思っていなかったからだいだいな感じで連絡してしまっていたので、この後の第3関門でのすれ違いが、、、。それはまた次のレポで。
ちょっと元気になる!
第2関門では水以外にコーラとバナナがあった!これはありがたいとコーラもバナナも十分いただきエイドを後に。そしてここから少しだけ次の登山口までロードタイム。
やっぱりロードは走りやすいなあ。エイドのコーラとバナナが効いたのか、ちょっと走ってみるとそこまで辛くはない。軽い登りでも周りが完全に歩いている中で、㌔730とかだったけれども、ポクポク走ることができた。ちょっと嬉しかった。ITAMUROのときはたった10kmぐらいのところにあった同じぐらいの登りを全然走れなかったので、満身創痍の中でも走れるなんて成長したなと感じた。
せっせせっせと登っていくと横向温泉のホテルが前方に見えた。さらにその向かいの駐車場みたいなところに数人応援をしている人たちがいた。こっちはほんの少しハイになりながら近づいていくと、その応援団にどこかで見たことのある人が、
「ああー、〇〇くん!」
中学の時の同級生だった!
先月の同窓会で26年ぶりに再会し、お互い走るんだね~なんて話をしたばっかりだったので、近づいてびっくり。
「おお、〇〇くん!(私のこと)」
大きく手を振るとびっくりした様子。少し止まって話でもすればよかったのだけれど、今、私ちょっとだけだけど、しかもかなり次元は低いけどゾーンに入っていたので、そのまま行きたかった。それと周りが歩く中で走れている自分、なかなかでしょ(かなり次元は低いけど)みたいなところもあって、さーっと通りながら手を振る。
「出てたんだー、がんばってねー!」
「死にそうだけどがんばる!」
ほんの少しだけど応援をもらってちょっと元気になりました。登りは続いていたのだけれど、ここで歩いてはかっこ悪いと言う思いもプラスに働いて、次の登山口まで1km弱気持ちよく走ることができた。
涙の4登目、一番の山場
次の登山口がやってきた。いよいよ佳境に入ってきたとでも言いましょうか。ここからが勝負。ロードで少しは元気になって、野地温泉を通るあたりまでは良かったのだけれど、そこから鬼面山に向かう登りが相当やばかった。
本当にやばかった。
道中ほろっと汗にまみれて涙が出たよ。
きつい、やめたい、そんなことばかり頭をよぎる。
楽しめない。全然楽しめないよ、鏑木さん。
鬼面山付近は岩もゴロゴロした急登でもう本当に虫の息。ちょっと道が広くなるところで休む人たちもいた。もうスマホを取り出す気力さえもなくなってきて、もう道中の写真はなし。疲労困憊とはまさしくこのことだ。
4登目からは両手を後ろに組んで登ることにした。
(ネットより拝)
こんな体勢で。
以前富士登山競争の番組で、毎年挑戦しているアナウンサーの方が、こうやって登ると体があまりぶれずに前傾も保たれるので足が前に出やすくなると言っていたのを覚えていた。歩幅をさらに小さくした上でやってみると、確かに足が上がりやすくて足の負担が軽減されたような気がした。急なところでは日本昔話に出てくる腰の曲がったおばあちゃんみたいになっていたけど、このフォームはなかなかようござんした。ただ、背中と肩が筋肉痛になる。
間違いなくこの登りが一番の山場だった。
これほどまでに肉体的にきつくて辛い経験は今までになかったと言える。
なんてったって40過ぎたおっさんが涙を流すのだから。
それでも必死に登り続け、なんとか2回目の鉄山避難小屋分岐へ到着した。
今回のサマリー
通ったところ。
左端から、km、ペース、時間。右端2列が登りと下り。
1km20分以上のかかる登り。つらいしかない。
つづく。
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北海道の大きな地震、大変でした。皆さんご無事でしょうか。
どうか一日でも早く普段の生活に戻れるように祈っています。